2009年7月9日木曜日

沢 知恵と大島青松園



大島青松園と沢 知恵を結ぶもの

大島青松園と沢 知恵のつながりは1960年代までさかのぼります。

牧師になる勉強をしていた父、沢 正彦は青松園にあるキリスト教教会の霊交会でひと夏をボランティアとして過ごします。その後結婚し、生まれた長女を大島のみなさんに見せたいと、まだハイハイをしていた赤ちゃんを大島に連れて行きます。それが沢 知恵です。大島のみなさんは「みーんなで順番にだっこしたのよー」と昨日のことのようにおっしゃいます。

すでに100%完治する病であるにもかかわらず、ハンセン病への正しい理解はなく、社会の差別、偏見が厳しい時代でした。島で赤ちゃんの姿を見ることは、ありえないことでした。所内で結婚しても子どもをもつことは許されず、断種、堕胎の手術が施されたハンセン病元患者のみなさんはどんな思いで赤ちゃんを見つめたでしょうか。

その父が89年にガンでこの世を去ります。沢 知恵が高校生のときのことです。それからしばらくして、大島から「あなたのお父さんからの手紙よ」と昔父が島の教会の方に宛てて書いた手紙を送ってもらいました。また、熊本の地でハンセン病患者救済に尽力したライト女史と親交のあった祖父の沢 正雄も青松園とかかわりをもつようになり、自治会の発行する月刊誌『青松』にエッセイを連載をしました。現在は沢 知恵が連載を寄せています。

祖父が亡くなった翌年の96年に、沢 知恵は約25年ぶりに青松園を訪れます。入所者のみなさんは、久しぶりの再会に涙してくださいました。それからは関西や四国方面で仕事があるとしばしば大島を訪れるようになり、いつしか大島でコンサートをしてみなさんにきいてもらいたい!と思うようになるのです。

その願いがかなえられ、2001年、初めて沢 知恵大島青松園コンサートが実現しました。奇しくも、全国のハンセン病元患者が国を相手に起こした国賠訴訟に勝利した直後のことです。今年でそのコンサートも11回目となります。コンサートには全国各地からたくさんの方が来てくださいます。その輪は年々大きくなり、力強いうねりとなっています。

沢 知恵が父、祖父により大島青松園に結ばれたように、青松園コンサートが多くの方にとって、ハンセン病を正しく理解するきっかけとなり、またその輪がどんどん結ばれていくことを願ってやみません。

瀬戸内海に響け、沢 知恵のうた。


  

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